いろいろ地域の市民活動

NEW!!★2017年10月衆院選に東京17区から立候補した方々に、立石駅前の再開発についての考えをお聞きしました。

・このアンケートは、東京17区の立候補者の3人の方全員に、文書で質問し、文書で答えていただきました。

・下記に転載するお答えは、いただいたものをそのまま記載することとしました。ただし新井候補については、サイトのスペースの都合により了解を得て少し短くしました。

・18日夜の回答期限までにお答えいただけなかった候補については、「回答なし」といたしました。

・記載順は、都選管配布の選挙公報に掲載された順によります。

・質問事項は

 ①京成立石駅周辺地区の再開発計画に関してどのように考えるか?
 ②同計画に対して今後何かしらのアプローチをしていく予定は?(あるとすればその内容も)

 

 

新井杉生(あらいすぎお:日本共産党)

① 現在駅北口再開発が都市計画決定まで行われていますが、地権者内の再開発に反対する人たちが依然1/3以上を占めているので、事業計画案をつくることができないままです。
 一方、再開発計画とセットで進められてきた京成押上線の連続立体事業は、国土交通省の事業認可が取り消される危惧のある期限が迫ってきたため都が再開発計画とは切り離す決断をし、隣接道路予定地は土地買収方式、応じない地権者には強制的収用を行ってでも、事業を進めようとしています。
 再開発計画がスタートして20年余、このような状況である以上計画は一度白紙に戻し、立石らしい「身の丈に合ったまちづくり」の視点で話し合いをし、住民合意が図れるように計画を作り直すべきです。この視点からはバスターミナルを前提とした広い駅前広場は必要ないでしょう。既に行った都市計画決定は見直しが必要です。
② 区は北口再開発を助けるために区庁舎を駅前再開発による高層ビルに移転しようと、毎年莫大なカネを積み立てています。まだ決まるかどうかもわからない再開発事業がつくる予定のビルの床を買うというのですから、区行政の運営としても大変無責任です。一方では学校の建て替えは後回しにし、公共施設の見直しで鎌倉公園の子供用プールの廃止までしようとしています。
 住民の反対が多い再開発を税金を使ってまで進めようとし、そのために子どもたちが使う公共施設を犠牲にするというのは、とんでもない区政の暴走です。
 区長選に幸い区庁舎移転反対を掲げて木原敬一氏(無所属)が立候補するので、日本共産党としては彼を支持して区政の転換をはかりたいと考えます。

 

平沢勝栄(ひらさわかつえい:自民党)

10月13日に頂戴した「アンケート」について以下の通り回答いたします。

①について

 立石駅周辺地区では、防災性・利便性・快適性の向上を図り商業の活性化を推進するため、京成押上線の連続立体交差事業との連携のもと、引き続き再開発計画を進めていくことが必要です。

②について

 今後とも葛飾区、東京都と緊密に連携して取り組んでいきたいと思います。

 

西田ちから(にしだちから:希望の党)

 回答なし

 

 

以上です。
本アンケートに御回答くださった候補者の方々、御協力ありがとうございました。

また、回答期限までにいただけなかった候補者の方も、この地域の問題について何らかの見解をどこかで表明いただけたらと存じます。

                 (文責:住みよい葛飾をつくるみんなの会・塔嶌)

 

 

NEW!!★過労死・過労自殺の遺族が「過労死に追い込まれる前に声をあげて!」と、訴訟などを支援する基金を設立。

この話を伝える「東京新聞」8月5日の記事です。

★基金のことや労働相談は、東京東部労組へ。

NEW!!★葛飾でも「憲法カフェ」がありました!
6月11日(土)「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)」に参加している武井由起子弁護士を講師に招いて、葛飾の有志ママ主催の「憲法カフェ」がありました。参加報告です。


今の私たちが持っている「日本国憲法」の「憲法」とは何か? どのような歴史を経て今に至っているのか?
話は、なんと1200年代イングランドの「マグナカルタ」から始まりました(えぇっ、自民改憲草案の話まで行けるの?と、ちょっと不安になる)。マグナカルタは、フランスとの戦争を繰返し戦費調達などで人々を悩ませた王様の専制にストップをかけようとした諸侯と王様との間に、廃位される代わりに結ばれた約束です。何度か改定されています。
やがて、イギリスでも2度の革命、米国の独立宣言(植民地の人々の宗主国政府からの独立)やフランスの人権宣言(王様の支配から市民の代表による政府の支配へ、そして市民の代表による政府の持つ権力も強くなりすぎるので、これを制限して個人の自由と権利を守る)へ。ここまでが憲法の赤ちゃん(原理的憲法)というわけです。
さらに、産業革命が進み、資本家の強い経済力支配により社会的弱者(労働者とくに、児童労働の問題)が生まれたことから、政府の力で弱者を助ける(生存権)考え方が加えられました(福祉国家的憲法)。
そしてさらに、二度の世界大戦を経て、最大の人権侵害をもたらす戦争をしない、という考え方を盛り込む憲法へ(平和国家的憲法)。

ここで会場へ質問。「日本国憲法の三大原則とは?」急に振られた中学生女子「国民主権、基本的人権、平和主義」と完璧な回答。会場の大人たちから思わず「お〜!」と拍手も。
現代のたいていの国の憲法は、福祉はあるけど戦争はする、という段階で止まっていて、中にはイタリア憲法のように「戦争放棄」を定めたものもあるが、「戦力不保持」もあわせて盛り込んだ日本国憲法のようなものは、コスタリカほかいくつか例があるものの、人口数千万の規模を持つ国としては、今のところ唯一の憲法です、と先生の補足がありました。
こうした憲法の歴史の中で、最大の特徴=「憲法のミソ」は「王様をしばること(権力を制限すること)」によって、市民が自由や権利を得られるようにすること(人権を保障すること)。
つまり、憲法を守らねばならないのは、権力を持っている側の人たちだけなのだ、ということです(日本国憲法第99条に憲法を尊重し守る義務を負う者として天皇以下国務大臣など公務員のみが挙げられ、「国民」が書かれていないのは、そういう意味)。
そして、この「人権」が制約されるのは、「公共の福祉(public-welfare)」=他の人の生命・自由・権利と衝突する場合に限られる。これは、政府の都合や他人の迷惑ということとは違う。
…このように、駆け足でしたが、テンポのよい分かりやすい話し方で、憲法のキモとなるポイントを押さえた上で、自民党の改憲草案の検討に入りました。
まず、自民草案の第102条では、国民に憲法を尊重する義務を負わせている点で、「権力をしばる」という近代の歴史に沿った「憲法」ではなくなっている。また、「国を愛する」だの「家族を大切にする」だのという道徳を国民に課している点で、戦前の大日本帝国憲法の段階ですらなくなっている。
次に、「個人」(自由と権利を持つ存在)を「人」(生物学的にヒトである?)と言い換え、表現の自由に「公益・公の秩序」という制限を設けることで、政府の都合によって人権を制限しうるものとしている。
さらに、無制限に戦争のできる「個別的・集団的自衛権」を盛り込んでいる。
また、独裁政治を呼び込む恐れから現在の日本国憲法にはあえて入れなかった「緊急事態条項」を盛り込んでいる。
この緊急事態条項が通ってしまえば、ジョーカーのようなオールマイティーに使えるカード(独裁的権力)が政府の手に渡り、それも無期限に行使できるようになってしまう危険なものとなります。
2006~07年の第一次安倍政権の時に、国民投票法を作り、今回の第二・三次安倍政権は、特定秘密法・安保法制も成立させ、今度の7月の参院選で3分の2の議席を得れば、この「緊急事態条項」といくつかの改定条項をセットにして、憲法改定の発議を狙ってくることは、明らか。
その先にあるのは、独裁的権力による軍事予算の増大と、個人の自由と権利・社会福祉の縮小に突き進む世の中です。
そういう社会を望まないならば、私たちは何をすべきか? 私たちに何ができるか?
「あすわか」の仲間でもある上越中央法律事務所の田中淳哉弁護士が作った「アクションリスト」を掲げておきます(下に写真で出しておきます)。それぞれの人の事情に応じて、できることを考えてやってみてください。…そう呼びかけてお話は終わり。

会場からは、「憲法改正といってもよくわからず、何から取り掛かればいいんだろうと暗中模索していたけれど、突破口となりました」という声も。こうした集まりは初めてという方も多く、PTAつながりのママさんたちや(ママさんと一緒に参加した中学生も)、SNSで知って参加した人、スタッフの知り合いのシニア世代(この報告者の私もその一人)など、20名定員を超える参加者で、会場のカフェは熱気と笑いにあふれていました。カフェの飲み物と小さなケーキの盛り合わせの一皿も、美味しかったです。(SH)

★同様に、自民党草案を読み込む「わくわく出前講座」のテキストを、参院選挙期間中に無料でダウンロードできるよう、版元の地湧社サイトがPDFファイルでアップしてくれてます。

★放射能汚染は終わっていない(ボランティアによる東日本土壌ベクレル測定結果)
2011年3月11日の「東北地方太平洋沖地震」とその後の大津波を引き金に起きた東京電力福島第一原子力発電所での炉心溶融事故。それによる大量の放射性物質の放出は、風向きと天候により、ここ葛飾にも大量の放射性物質による大気と土壌の汚染を引き起こしました。
大気の汚染は空気が入れ替わることで薄まっていますが、雨によって土に落ち染みついてしまった土壌の汚染は、あれから5年経った今も続いています。
放射性物質が放射線を出しながら別の物質に変わって減って行く「半減期」は、その物質によって違い、現在の汚染の最大の割合を占める「セシウム137」の 半減期は30年ほどです。つまり、30年経過するごとに、半分、またその半分、という具合に減って行くということです。5年後の今は、半減期や地面の下に 沈んで行ったり雨や風で流されたりで減って、当初の6〜7割くらいになっているようです。一方で、事故当初はセシウム137と同じくらいの割合で見つかっ た「セシウム134」の半減期は2年ほどであるため、現在では当初の10分の1以下になっているようです。

この他の放射性物質も放出されましたが、市民の力で用意できる測定機器では測定の難しいものが多いので、この「東日本土壌ベクレル測定プロジェクト」では、上記の2つのセシウムについてのみ測定しました。
この「ベクレル」の数値の意味、事故後の日本で公的な機関が発表する「シーベルト」という数値との意味の違いなどについては、それぞれのリンク先をご覧ください。

★汚染地図です。色と円の大きさとで汚染度が見分けられるようになっています。東日本全体の地図の中の各都県の中をクリックすると、それぞれの都県を拡大して見ることができます。

★「シーベルト」と「ベクレル」の違い、「半減期って?」「放射能は身体に入るとどんな影響がある?」など、放射能についての基礎知識は、こちらで。

★今回の測定の方法や意味などは、こちらでご覧ください。まだ測定の空白域が残っていて、土壌採取に参加してくださる方や、資金のカンパをしてくださる方を募集しています。

NEW!!★水元の「教育資料館」にあった資料類が「葛飾郷土と天文の博物館」で2016年8月20日から公開されています。
葛飾区水元地域にある「教育資料館」(旧水元小学校)は、2016年3月末で閉館されてしまいました

これまで・これからの保存運動と、区当局・議会の動きを、朝日新聞「川の手」(東京東部)版の記事でたどっておきます。

朝日新聞10月11日付け「川の手」版記事では、機銃掃射で殺害された生徒・石出巳之助さんの弟さんや、目撃した下級生の証言も取り上げられています。
また、同「川の手」版10月15日付けには、こうした「現場」に残されている資料の意味を、識者に聞いて、再び記事にしてくれています。
残念ながら、2016年4月3日付け記事は「初空襲の“語り部”去る」という見出しで3月末の公開終了を伝えています。ただし、この資料館の今後について区民参加で検討することを求めていく、という「生かす会」の声を伝えています。
(写真の上をクリックすると、それぞれの記事が拡大します。)

「葛飾区教育資料館」とは?


資料館に使われていたこの校舎は、大正14年(1925)に造られ、大正時代のものとしては都内に残る唯一の木造校舎として、区の文化財に指定されています。
昭和57年(1982)まで60年間小学校として使われたこの校舎には、この間の歴史が、そのたたずまいに刻み込まれています。
2016年3月末までの公開では、大正時代の教室風景や、それぞれの時代に使われた学用品や教科書なども展示されていました。


しかし、ここはそれだけの場所ではありません。
日本人にすらあまり知られていませんが、昭和17年(1942)4月18日、米軍は初めて日本本土を空襲しました。16機のB25爆撃機で行われた、のちに「ドゥリトル空襲」として米軍軍事史に 残る空襲は、大戦末期のB29の大編隊による空襲(東京大空襲など)に比べれば小さなものでしたが、各地での爆撃や機銃掃射により民間人をふくめ死者87 名、重軽傷者466名(ウィキペディア「ドーリットル空襲」による)を出しています。
その死者の中に、この学校で機銃掃射を受けて亡くなった石出巳之助(当時は「水元国民学校」という名称でした。その高等科の生徒でした)がふくまれています。
この時の、弾痕と銃弾も、ここには展示されていたのです。
近くの学校の生徒の見学も行われてきましたし、通知表や教科書など教育資料を寄付した住民もいます。
区の計画では、公開を終了した後は、校舎はそのまま保存し、資料類は白鳥にある「葛飾区郷土と天文の博物館」で保存することになっているそうです。しかし、それぞれの「物」が場所を離れて保存されていればそれでよいのでしょうか?


大正期の小学校の教室風景に思いを致し、戦争の時代に、子どもが機銃掃射の犠牲となるというのはどういうことか想像する、…施設管理費の問題もふくめて、利用のしかたを工夫するなどして、土地に根付いた歴史の風景を維持する方向をさぐるべきではないでしょうか?

(下のボタンは、その「石出巳之助君」の一周忌にさいして、当時の内閣情報局が出していた「写真週報」に掲載された戦意高揚のための記事へのリンクです。リンク先の 画像の上のほうに ある「次のページへ」のボタンを押して5番目の写真が、その記事です。(国立公文書館「アジア歴史資料センター」サイト))